ちょっとした雑学
- 2019.6.12 阿蘇・久住連山でもミヤマキリシマです。
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神奈川県の丹沢山地(三ノ塔)から見た富士山と南アルプスです。
2021年2月9日に友人と「今まで、あまり登った事の無いルートから丹沢に登らないか?」と誘われ、出かけました。
コロナで運動不足もあり、意気投合して出かけました。平日なので、バスもガラガラで密は無し。いつものバス停から二時間程で富士山が見え出し、二時間で山頂に到着。雪はすっかり消え、寒さが身に応えました。
写真の右端は北岳(日本第二の高峰3193m)が見えます。
冬の二月ですが、こんなに晴れ渡り、南アルプス迄見たのは久しぶりでした。今は昔、二人で登攀した北岳の岩壁(バットレス)思いながらヨタヨタと下山しました。
(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2018.5.11 天下茶屋から見た2017年4月23日の富士山です。
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天下茶屋から見た4月23日の富士山です。
たまたま、山の仲間と三つ峠の四季楽園で、過ごす機会がありました。
この写真を載せようと思ったのは、22日の夜から三つ峠に雪が降ったからです。この時期に雪? 横浜の桜はすっかり散り、富士吉田は満開、とても考えられません。仲間に聞くと前回の(約40年前)時も雪じゃなかった、という話です。前の夜に準備をしていたが、22日の夜は雨だということで、壁は雨に濡れているだろうと思い、登攀用具は持たずに出かけた。天気予報では23日は朝から快晴で、絶好のクライミング日和との事であった。それが、雪に変わってしまい。翌朝の気温は-3度、岩肌は0℃位でとても、クライミングには向かない冷たさである。
晴れどころか、墨絵のような景色で、富士山も見えず、10時頃下山することにした。それでも富士山を一目見ようと「天下茶屋」まで、出かけた。この茶屋は「太宰 治」で有名で、富士山の絶好の展望台である。茶屋に着くと、大勢の人が富士山を見るために集まっていた。30分程すると、雲間から真っ白な富士が見え始めた。クライミングは次の機会にと。
(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2016.12.12 この前年、御岳山の噴火で多くの人が遭難しました
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久しぶりに北八ヶ岳の冬山に登ってきました。
2016年12月23日から25日です。本当は22日から24日の2泊3日のテント泊で、相棒と行く予定でしたが、天候が良くないので、中止となりました。
しかし、1日ずらして、23日から25日して、一人で出かけました。
黒百合ヒュッテに2連泊です。
一日目は前日の雨で、小屋のすぐ手前の沢筋が水量が多く足を取られて、半身ずぶ濡れになりました。
雪の上で、スパッツとアイゼンを外し、靴を脱いで、靴下を絞り何とか事なきを得ました。
25日の下山時にはこの沢筋はカチカチに凍っており、水が流れていたのが、嘘みたいに歩きやすい道になっていた。
全く変な天気だ。
これまで、何度も八ヶ岳の冬山にはきているが、いつも、南八ヶ岳で壁や、氷壁を登っていた。
北八ヶ岳は初めてだ。
山小屋に泊まるのも初めてだ。
24日の夜はオリオン座、三ツ星、オリオンの大星雲、真上にはスバル、そして、天の川と満天の星だった。
小屋も、クリスマスとイブが重なり、盛況だった。
女性が多いのにびっくりした。
半数近くが女性である。
中には、ケーキやステーキをふるまっている60代の夫婦連れもいた。
実に賑やかであった。写真は黒百合ヒュッテの近くの山頂から、撮影した。黄色いテントは登りの時に出会った、高校生の冬合宿である。
このテントが無いと、モノクロームの世界である。帰りの25日が青空が出て、一番天気が良かった。中央線の電車の中では、無事に下山出来て、今年の宿題を済ませたような気分になった。
(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2016.12.12 この前年、御岳山の噴火で多くの人が遭難しました
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木曾駒ケ岳は千畳敷カールまで、ロープウェイで登り、そこから簡単に登る事が出来ます。
この山は1913年8月末に起きた小学生の大量遭難がありました。最近では韓国から来られた方が、宝剣岳の近くで遭難、冬でもロープウェイの駅のすぐ近くでホワイトアウトで遭難とこういった事がいつも頭の隅にあります。
私も3度目の正直で昨年10月に相棒と二人で登ってきました。
木曽駒に登った後、宝剣を通るルートで下山しました。宝剣の山頂に続く登りでは雪が凍って、滑り易くなっていました。最初に駒ケ岳に行ったのは丁度4年前の12月末でした。浄土
乗越に出ると吹雪で、「こんな天気で登ってもつまらない」という事で下山。
そして、翌年、12月に再度チャレンジ、前日の夜のお酒の飲みすぎで、浄土乗越をやっと超えた所で、中止、今までにない不整脈にに襲われたのです。
そして、昨年10月にやっと登ってきました。
駒ケ岳山頂からは遠く御岳山が遠望できました。
この前年、御岳山の噴火で多くの人が遭難しました。
噴火が起きた時は富士の宝永山に出かけ、TV取材のディレクターに「お父さんは火山の噴火に何か備えていますか?」と問われ、「返事に窮しました」御岳山に向かって「合掌」し、下山。(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2016.8.28 表紙の写真について 「聖岳(3013m)の山頂からダイナミックな雲の向こうに見える富士山を撮影したものです」
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2012年8月6日〜8月10日迄、南アルプスへ出かけました。相棒と二人で140歳でした。相棒は昭和40年代の5月に登り、雪に阻まれて敗退したそうです。私は今回念願がかなって、やっと登りました。
私の南アルプスは冬のバットレスから初冬の白根三山、鳳凰三山、甲斐駒の吹雪の敗退と南アルプスの北の端ばかりでした。4泊5日 全部、小屋泊まりの豪勢な登山でした。夜の食事もヒレカツ定食で、初めてでした。
昭和57年7月末に、会社の山岳部の仲間8人が台風の襲来で静岡への道が崩壊し閉ざされ、椹島(さわらじま)に閉じ込められました。ようやく自衛隊のヘリコプターで救出されましたが、責任者をやっていたので、会社の中での始末に追われました。全員無事だったのが、なによりの幸いでした。
南アルプスに興味を持ったのは「本田勝一」の山の本を読んだのがきっかけです。題名を忘れましたが「百間洞」という地名だけが記憶に残っています。これは、大沢岳と赤石岳の中間にあるだだっ広い平地だという事を知りました。
写真は聖岳(3013m)の山頂からダイナミックな雲の向こうに見える富士山を撮影したものです。富士山頂の右端は尖頭が富士の剣が峰で、日本の最高峰(3776m)です。
(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2016.5.9 表紙の写真について 「これは、西丹沢の滝です。」
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平成28年も半分近く過ぎました。
世界も日本も何だか随分騒がしいニュースばかりです。もう少し静かさを取り戻してほしいですね。
5月5日の子供の日に西丹沢の棚の下見に行ってきました。
西丹沢のある山北町では滝を「棚」、山頂を「丸」と呼んでいるいるようです。
丹沢山塊でも大滝で知られる「西丹沢の西沢の枝沢にある本棚沢の本棚」長ったらしくてすみません。
この本棚沢は畦ヶ丸(1296m)に繋がっています。
前置きが長くなりました。
お世話している山歩きの会で、7月にこの滝巡りを計画しています。
水量の多い、堂々と水を落としている方が本棚です。落差は70mで、丹沢でも3本の指に入る大滝です、右側の枯棚(少し水があります)120m位、新緑が美しく、両方の滝
を写してみました。
(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2016.2.17 表紙の写真について
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この時ほど、美しいと思った山はなかった。
昭和47年1月であった。この年の登山は最高の幕開けだった。
昭和46年の12月27日の夜、深夜の夜叉神峠でマイクロバスを降り、重い荷物を背負って、鳳凰渓谷の急坂をを400m近く谷底まで下りた。
そこから、冬の北岳の登山ルートである池山釣尾根からボーコンの頭を目指して登り始めた。池山小屋で幕営した。次の日ボーコンの頭に到着。ベースキャンプを設営し、雪のブロックでトイレとバーを建設。
此処まで二日を掛けて登った。此処から見る白根三山(北岳、間ノ岳、農鳥岳)は本当に素晴らしい。ブルーのウィンパーテントは4人用、その外に10人用のカマボコ型のテントを運び上げた。バットレスのルートを2本登って、本当に充実した登山であった。
バットレス(胸壁)は余りにも大きい。この横長のサイズには全く入らない。
この写真はベースキャンプからの間ノ岳である。日本で標高3000mの稜線では一番長い。今年、平成27年も丹沢から眺めた南アルプスは真っ白な山稜を見せていた。
(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2015.10.15 表紙の写真について 「これは、北岳の冬支度です。」
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本格的に登山の第一歩になった北岳(日本第二の高峰)のアイゼン歩行訓練であった。
今も記憶の中に鮮明にその時の事が残っています。昭和44年11月1日の夜行で甲府に行き、始発のバスで登山口の広河原に入りました。一日で広河原から大樺沢を詰めて八本歯のコル、そして北岳の山頂を登ってから、間ノ岳を越え、農鳥岳の手前でツェルトでビバークしました。翌日は農鳥岳から大門沢の美しい紅葉が忘れられません。
この写真は農鳥岳からピラミッドのような北岳と縦走路を写したものです。山は冬支度の装いでした。赤い三角の旗はその年の正月に此処を縦走しようとする山岳会が目印に立てたものでしょう。強風にはためいて冬の到来を待っているようでした。遠くに甲斐駒ケ岳、北岳の左側に、かすかに八ヶ岳がみえます。北岳から農鳥岳迄の稜線は日本でも有数の3000mを越える稜線です。
(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2015.9.4 表紙の写真について 「これは、夏の八ヶ岳連峰です。」
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これは、夏の八ヶ岳連峰です。八ヶ岳は北八ヶ岳と南八ヶ岳に分かれています。南八ヶ岳の主峰は赤岳(2,899 m)です。JR中央線の茅野駅からバスで美濃戸口の終点で降りて、歩きます。
近年は車で美濃戸まで行けるようになり、簡単に入れるようになりました。しかし、この山は独立峰で厳冬期は-20℃にもなります。アイゼンやピッケルを素手で触ると、指は直ぐに氷着き離れません。無理に剥がすと皮膚も危ないのです。
冬の八ヶ岳は意外と遭難が多いのです。今年の一月に学習院の山岳部員2名が遭難しました。体力を消耗し、雪崩に遭遇しています。この遭難場所は特に雪崩が多く、昔、雪崩で大量遭難が起きています。稜線は非常に寒く芳野満彦氏が赤岳で遭難しました。
写真は平成19年8月に硫黄岳から撮影しました。横岳、赤岳、阿弥陀岳、南アルプスの甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、鋸岳が遠望できます。
(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2015.7.22 表紙の写真について 「剣岳は思い出の深い山です」
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剣岳は思い出の深い山です。
何度も登りました。
岩登りに1週間も滞在したこともありました。
その時長次郎の雪渓を下っているとき滑落し、何とかピッケルで止める事が出来ましたが、ザラメのような氷でピッケルを握っている手の甲を負傷しました。
幸い、熊の岩の東大山岳部の方に手当をして頂きました。
その 後、指に力を入れると血が滲むのも構わずチンネを登攀しました。
若さですね。
この写真は2003年8月10日に奥大日から立山を撮ったものです。
この稜線からみる立山は雄大だと実感しました。
中央台形の山が立山、朝日で輝く雲が室堂の方に 流れて来ました。
前日は台風の影響で雨の中の登高でしたが、一気に報われた気持ちでした。
130万画素のデジカメで撮影したものです。
機会があれば、もう一度撮影したい景色です。(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2015.6.25 表紙の写真について 「西丹沢の写真」
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神奈川県の西部に位置する西丹沢です。この写真は5月26日に友人と二人でシロ ヤシオ、トウゴクミツバツツジ、ギンリョウソウが見られるから無理 に連れて いきました。昨年の5月23日は確かに見ることが出来ました。今年は、西丹沢自 然教室の知り合いの話では花の付が悪いとのことでした。
それに、日曜日より、今日は人が多いという事でした。駐車場が一杯で、少し 戻ったところへ車を置き、支度をして登り始めました。
ツツジ新道の登り口まで、一時間。ここから急な尾根を登り始め、昨年、ギン リョウソウが群生していた所に到着したが、一つもありません。わずかに 干か らびた花が3本、それと、昨年見かけた笹の花がなく、すっかり枯れた笹ばか り、シロヤシオは1500m位の標高でやっと見つける事が出来まし た。
ここから、 檜洞丸山頂(1501m)まではブナとイタヤカエデ、バイケイソウの新緑が美しい山 道です。45年前に見つけた洞(ビバークできそ うな大きさ)のある大きなブナに 元気を貰って下山しました。
(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2015.4.27 表紙の写真について 「吉田口山頂直下の雪煙」
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1971年12月13日冬山の訓練の時撮影した富士山です。6合目、7合目で滑落停止の訓練をしていました。吉田大沢はまだ柔らかい雪があり ましたが、夏の登山道は雪はなく、カチカチに凍った氷でアイゼンやピッケルも跳ね返す程の固さです。訓練の最後は山頂への登頂でした。凍結し た夏道を登ると、突風が近づいてくるのがわかります。「突風!」の掛け声で、全員が耐風姿勢を取ります。アイゼンとピッケルでしっかり三角形 で支え、背を低くして飛ばされないようにし、突風の行き過ぎるのを待ちます。突風が行きすぎるとまた、歩きます。 この写真は頂上直下の強風に雪が舞う様子です。狛犬が見えます。 麓からみると、この舞っている雪は青空にくっきりと雪煙として見えるはずです。
(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2014.12.31 表紙の写真について 「12月2日超望遠で撮った富士山頂の写真です。」
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富士山頂の頭だけの写真です。すっかり山頂から6合目までは雪で覆われてい ます。左側の欠けたようになっている所が宝永第一火口壁です。今年は 例年よ り、雪が多いですね。多くの山岳会が5合目から6合目の雪の斜面で滑落停止の 訓練を行う予定です。これに参加しないと正月の冬山には参加で きないという のが、しきたりのようです。右の稜線は屏風尾根そして、平らな急斜面が吉田大 沢、陰になっている所が、燕尾根、吉田口の夏の登山道で す。丁度、右下の方 に稲妻の形をした下山専用道が見えます。小生は45年程前に訓練中にピッケル で太ももと突き刺し、悔しい思いをしました。吉田 大沢は三浦雄一郎がスキー で滑降したことでも有名です。
(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2014.10.17 表紙の写真について 「今年の10月3日の富士山の写真です。」
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10月3日14時頃、宝永山です。宝永山(ほうえいざん)は宝永4年(1707年)の宝永大噴火で誕生した、富士山最大の側火山です。予想通りの快晴です。六合目の小屋のおばさん の話では、先週の御嶽山の噴火で、富士山も噴火するのではという 話があり、 宝永第二火口から噴煙が二本上がっているのを見たとか、硫黄の匂いがしたとか いう話をして、慌てて降りて行きましたよ。これは雲の見間 違いでしょうが。 それより、宝永第二火口壁に穴が開いているのが心配だと。確かに以前にはな かった穴があり、その下方にはデルタのような形ができ ていました。丁度、ど こかのTV局が取材に来て宝永火口を撮影していました。何度も「300年前に噴火 した・・・」を繰り返して、NGばかり。 「お父さんは何か噴火の対策をしてい ますか?」と尋ねられました。「今日は偵察だよ」と。
(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2014.10.17 表紙の写真について 「今年の10月3日の富士山の写真です。」
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10月3日丹沢に登るつもりで、出かけたのですが、秦野のトンネルを抜けた時、 正面に富士山が大きく見えたので、これは富士山は快晴だろうと思 い、行き先 を富士山の五合目にしました。水ヶ窪の大駐車場で山菜蕎麦を食べ、富士山を見 ると、山頂に傘雲がかかり始め、その横には8時頃に出来た 傘雲が東の方に流れ ていました。2月の大雪で、まだ山頂近くに残雪が見られます。いつもなら、富 士山頂は雪が着く時期です。
(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2014.8.12 表紙の写真について 「富士山頂の気象レーダーの写真です。」
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今は撤去された富士山頂の気象レーダーです。31年前の8月に家族で登った時に 撮影しました。
1959年の伊勢湾台風の大災害を契機に台風被害防止のために建設され、1965年か ら運用開始となり、1999年気象衛星と交代して、運用終了 となった。
白いドームは富士山の剣ヶ峰に立つ気象レーダー、富士山の火口の平らな場所 にある赤い建物は気象庁の建屋。富士山のブルドーザ道はこの時に作られまし た。
また、富士山の気象レーダは富士吉田市立富士山レーダードーム館として公開。
このレーダーの建設を扱った小説「富士山頂」新田次郎原作、1970年石原裕次郎 主演でこれが映画化された。(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2014.7.18 表紙の写真について 「富士山の見慣れない写真です。」
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富士山の御殿場口の駐車場から撮影した写真です。富士山頂、残雪、宝永火口、宝永山(2693m)頂がくっきりと見えます。
7 月末でも残雪があります。大きな宝永火口は徳川吉宗が将軍になる9年前の1707年に噴火したものです。
三っつある火口の一番上部に ある最大の火口がよく見えます。
火山灰と溶岩の色とその大きさが非日常的な雰囲気です。(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2014.6.2 表紙の写真について 「谷川岳 一ノ倉沢の全景です。」
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谷川岳 一ノ倉沢の全景です。魔の山として日本では良く知られています。私も、上越線の夜行で上野から数十回チャレンジしました。勝率は5割以下です。雨と吹雪です。
この岩壁で育ったクライマーがヨーロッパアルプス、ヒマラヤ、マッキンリー、アンデスと遠征して行きました。しかし、夢を果たせなかったクライマーも多くいます。
この時期(5月)はブロック雪崩もなくなり、登攀するには一番良い時期です。(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2014.4.23 表紙の写真について 「剣岳と毛勝三山(北アルプス北方稜線)」
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後立山(白馬岳)から黒部峡谷を挟んで、まだ多くの残雪に覆われた立山、剣岳方面がはっきり見えます。この時期、黒部立山アルペンルートが開通しています。また、立山の弥陀ヶ原では10mを超える雪の壁が雪原を縫うように室堂まで通じています。
(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2014.4.23 表紙の写真について 「西明寺の桜」
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神奈川県の松田山という所にある最明寺跡という公園史跡です。標高568m程度の山で、生駒山より少し低い山です。正面には箱根の山々が良く見えます。 案内板には、「密教の奥義を追及する真言宗の名刹として鎌倉時代の承久3年(西暦1221年)松田郷を収めていた大庭太景義がこの地に招いた源延という僧侶が、現在地に建立したものである。(当時は西明寺) その後文明元年(西暦1469年)に大井町金子に移転(現最明寺)。第二次大戦後、地元の人によって、桜、レンギョウ等を植樹し、現在のような花見の穴場になりました。
(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2014.4.16 表紙の写真について 「ナイヤガラに浮かぶ富士山」
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これは、今は跡形もなくなった「原小屋」の女主人に「雲海が見える」と起こされて、「姫次」まで、友人と走って行きました。左の高い山が檜洞丸(1601m)右の高い山が大室山(1588m)その間の低い尾根をまるで、滝のように雲が落ちていく様子です。 遠くに富士山が湖の上に浮かんでいるようです。丁度、45年前の冬のことでした。
(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2014.3.2 表紙の写真について 「不二と大山」
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大山は関東では有名です。江戸時代から大山詣りとして信仰の対象になっていま す。町は厚木市です。相模川を挟んで海老名市から撮影した写真です。昨年の 11月13日に撮影したものです。
大山は数えきれない程登りました。ある時は山道で、「寛永通宝」を拾ったこと がありました。
また、海老名は「相模国 の中心で史跡国分寺があります」、東京の国分寺市は 武蔵の国の中心です。これらは、奈良時代に全国に置かれた国分寺 の一つです。
(城東区出身の登山愛好家のNagato Nobuaki氏提供)
- 2013.9.9
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大阪の都心は、東京の都心に比べてからすによる被害が少ない。その意外な理由は飲食店等のごみにあった。東京では飲食店の食べ残しの入ったごみは家庭ごみと同じ午前8時から収集を始める。実は、そのときにはカラスはすでに朝食を済ませているのだ。一方、大阪では飲食店のごみは午前3時から収集を始める。まだ、カラスが寝ている時間帯だ。だからカラスは朝食をとりに郊外まで出かける。その裏には、大阪のごみ焼却場が深夜もごみを受け付ける事情がある。東京も見習って欲しいものだ。